微生物学者が乳がんになった時(Ⅲ:がれきの上にこいのぼり その11)

Ⅲ:がれきの上にこいのぼり<2015年12月~2016年12月>その11

家族とのコミュニケーション

娘と同居始めた時、「もう一人暮らしではないんだから、何でも話して欲しい」と言われました。これまで独りで考え、独りで決断し、独りで行動してきたんだとあらためて驚きました。それ以来できるだけ色んなことを話すように努力しました。そして少し落ち着いた頃、大学のこと、病院のこと、病気のことは、それぞれの関係者が連絡網を作ってくださって、自分もその仲間に入れていただけたので、それぞれどの方に質問すればいいか分かってとても助かったと教えてくれました。娘がどうしていいか分からなかったんだと気づかされました。家族が落ち着くと、私も心配が減ります。それで今度は携帯いじりがあまり得意ではない友人を助けるために、お嬢さんとラインをすることにしました。お嬢さんから母上の体調のいい時に伝えていただくようにして。余計なお世話かもしれませんが、みんな初めての経験でなにが一番いい方法か手探りです。

娘たちに経過が良いからブログでも書いたら良いんじゃない?と言われたこともありましたが、これを書くきっかけは、アリスの会からの依頼でした。
だからこれを娘家族に見せることは全く考えていませんでした。私は、小学生の頃から、親からは情操に欠けると言われ(子供は褒めて育てましょう!)、国語のテストは点数が取れず、文章には全く自信がなく、というよりコンプレックスの塊で、まさか娘に自分の文章を見せるなど考えもしませんでした。それに娘家族とは同居しているので今までよりずっと会話はできているし、見せる理由は全くありません。

しかし、手記をこのような形にまとめていただいて、こんなに立派なものにまとめていただいたんよと、一応見せておいたほうがいいかな?くらいの気持ちで恥を忍んで見せました。そしたら、娘夫婦が熱心に読んでくれたのです。びっくりしました。もうすぐ死ぬと聞かされていたため、いつまでも元気そうなばあちゃんを不思議に見ていたであろう孫が、「ばあちゃん、お母さんと一緒に暮らせてよかったね」と言ってくれたのです。

できるだけ治療内容、体調など話すようにしてきたつもりだったのです。しかし、話し言葉では伝わり切れていない部分を文字というのは埋めてくれるんですね。これは本当に想定外の喜びでした。母の遺物を整理していた時に見つけた書き物を、あの時母はこんなことを考えていたんだとしみじみ読みふけったように、3歳の孫が大きくなった時にばあちゃんてこんな人だったんだと読んでくれたら良いなと欲張りなことを考えてしまいます。みなさん、ありがとうございます。そして役に立つことがあったら使ってください。

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