微生物学者が乳がんになった時(Ⅱ:がんも最期は感染症 その1)

Ⅱ:がんも最期は感染症<2014年9月~2015年11月>その1

感謝を込めて

治療経緯が順調なのでブログに書くようにと複数の卒業生から勧められました。2015年は年賀状ではなく喪中のお知らせを書かないといけないかと思っていたという娘夫婦ですら、最近ではそのように言います。実は私も大変貴重な経験をさせてもらっているのではないか、そしてこれは本当にたくさんの方々のおかげであるからこそ記録に残すべきではないかと思い始めていたのです。ただ私自身がスキルスの胃がんで亡くなった主人の看病をしていた時(1978年、享年29歳)、がんで亡くなった父(1988年、享年80歳)や兄(1980年、享年46歳)を看取った時、他人の成功例を素直に受け止められなかった悲しい経験があります。そのため不特定多数の方が読まれるところには書けないと思いました。それにブログは他にもたくさんある、この順調さがいつまで続くかわからない不安など、様々な理由のため書くことを躊躇しました。しかし、専門情報を含むブログが少ない、がん患者の就労支援が産業医の重要な仕事になっているとの情報にふれ、アリスの会の皆さんのお役に立つことがあるならと、お世話になっている方々への感謝の気持ちを込めて原稿を書く決心をいたしました。

同居開始(2015年4月1日~)

妙に暖かいと思っていたら急に寒くなりました。プロ野球の日本シリーズはソフトバンクがV2優勝し、優勝パレードがありました。娘家族は孫達の硬式野球に夢中になっています。いま私は乳がんの抗がん剤治療のために、退職と同時に娘の家で世話になっています。余裕のない子育てをし、大学入学で別れ、卒業とほぼ同時に結婚した娘と、生きている間に時間と場所を再び共有できようとは!生き別れた娘に大人になって再会したような、そしてその娘は家庭を持ち、かわいい家族がいて、いま私はその家族と過ごさせてもらっているというような不思議に平和な思いでいます。またもや想定外の人生、がんなのに平和とは変だと思われるかもしれませんが、悪いことばかりではありません。天の采配の妙に感謝する今日この頃です。
~~この同居は2年後の現在も続行中です。独り暮らしされると心配だからという娘たちの言葉に甘えています。~~