ちょっとひと休み

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退職した年の7月「文化審議会は2017年の世界文化遺産登録を目指す候補として、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を選んだ」とのニュースが流れました。つまり、生まれ故郷が突然、<神郡宗像(ムナカタ)~新原(シンバル)・奴山(ヌヤマ)古墳群~>になったわけです。娘の家も福津市なので、闘病生活のために、長年疑問に抱いていた生まれ故郷の歴史を調べる時間ができました。なぜ、九州大学の調査隊が沖ノ島を長年発掘調査していたのか、なぜ、宗像大社が交通安全の神様なのか、なぜ出光石油の出光佐三氏(海賊と呼ばれた男)が高額の寄付をしたのか、奴山(ヌヤマ)という気になる名前、その辺りの沢山の小さなかわいい丸いでこぼこのお山が、古墳群として世界遺産登録の候補になる意味。とくに参考に挙げた本の中の言葉に感銘を受けました。【「色定法師が生涯を過ごした宗像は海上交通の安全を守り、経済発展を願う場で、明治以降の不幸なアジア史を背負う私たちが、中国、韓国との真の一衣帯水をいつになったら実現できるのか、田村先生は「歴史を丹念にひも解き、国家、民族の違いを理解しながら、東アジアとのアイデンティティーを高めることが未来への道になる」と言われている」と書かれています。】この本も卒業生が教えてくれました。これを読みながら、なんだかとても嬉しくなるとともに、変わり種の細胞であるがん細胞といかに共存するか、これは並大抵のことではないなぁ~、基礎研究者としては大きすぎる課題を突き付けられたなぁ~とぼんやり考えたのです。人生の最後に、父親が残していった沢山の資料を前に、小さな田舎の大きな歴史を知る機会を得た不思議を思わざるを得ません。ところで、宮地嶽は宗像徳善のお墓ということですが、‘嵐’のコマーシャルのおかげで光の道で有名になりました。

1) 海の民宗像~玄界灘の守り神~(まんが)編宗像世界遺産登録推進室~ 梓書院
(メディアで紹介されています、後半の特別付録が参考になります。)
2) 色定法師と源平の争乱 田村圓澄著 海鳥社

~~なぜ早く受診しなかった?~~

卒業生産業医にじっくり、きっちり、厳しく質問されました。

早期受診が大事で、それをいかに進めるかが大きな課題なのですが、「先生のような専門性のある立場の方でもなかなか受診されなかった、その点が大事で、その理由を聞きたい」と迫られました。福島の日本産業衛生学会の帰り、東京までの新幹線の中です。

遺伝学的な面から考えると、腫瘍ができたということは、その背後にそこまで迫ってきている前がん状態の細胞予備軍が身体のどこそこにあるということですからね、検出できなくても、検出限界以下で存在しているかもしれない。免疫学的には手術や抗がん剤治療をすれば全身の免疫能が低下し、腫瘍発症を促進しかねない。細胞生物学的には抗がん剤治療をすれば耐性細胞を選択することになる、社会学的には仕事を失うことになる、そして生命もね・・・何をか言わんですよね。

それに、身内の壮絶な最期を何度もこの目で見てきたものとしてはね~、アウシュビッツの囚人のように骨と皮に痩せて、褥瘡ができて、ここまでにならないとヒトは死ねないのかというような状況で大切な家族を看取った経験を持つ人間としては、それに仕事の関係者や家族や知人、友人に対する影響なども見てきたしね~、何を言われても動かないよね。まあ仕事の方はそれなりに継続されていきますけどね。むしろ尊厳死協会に入会しようと思っている。それでも、若い時は子供も小さかったし、心配だったから病院に行ったことある。マンモグラフィーもない時代でね、男性の先生で、それからあんまり行きたくなくなった。今となっては、私の知識は古かったのかな~と思わないでもない。でも、やっぱりいまでも死ぬ病気でしょ。日本人の死亡原因の1位だし。5年生存率が90%と言っても、死ぬ方の10%に入らない保証は何もない、5年生存と言ってもお金と時間を費やして、闘病に苦しみながら5年も耐えてどうせ死ぬ、それなら病院に行ったらすぐ死ぬという状態で病院に行った方がいい。こういう風に言う臨床医や看護師さんも結構いますよね。いまは治る病気になりましたと言っても、何ともない時に言われても忙しい!となかなか自分のことと受け止めない、実際に自分のことになった時に言われても気休めとしか受け止めない。

北斗晶さんも復職されたし、小林麻央さんだってテレビに出演された。きつそうだけど頑張ってる。こんなにコントロールできるのだったら、早く受診すべきだったかな?と思わないでもないよね。でも乳房全摘して、その後の痛み、浮腫やその他の副作用に苦しむのを考えたら、手術しないで今の状態を維持するというのもありかな?という医者もでてきた。最初は怒ってたけどね。まあ、今後も、この状態がうまくいったらの話ですけどね。がん細胞の増殖はものすごいから、原発巣部分は手術で除去すべき!という基礎研究者もいる。研究でがん細胞を培養していた経験を持つ開業医が、「がん細胞は培養している途中で抗原性が豹変するんですよ、これは本当に恐ろしい細胞だと思いました。」と教えてくれました。

家族や社会の構成員としての立場で考えると、自分の個人的なことで誰かに迷惑かけるのではないか、だれかを傷つけることになるのではないかと心配する。秘密にしていても、結局は患者の独りよがりのようなものでしょうけどね。教室員も含め周りの人々は様子がおかしいととても心配していたらしい。教室の方々には言葉にならない迷惑をかけました。そうならないように退職まで何とか持たせたいと思ったのですが、結局大迷惑をかけることになりました。私も 姉達には治療始めて1年たったころ、状況がはっきりして、言ってもショックが少ない、心配かけないであろう状況になって話しました。私は末っ子で、姉達は高齢で病気持ちだからね。心配かけて病気がひどくなったら申し訳ない。だけど20年も前に亡くなった母が姉の枕元に立って初美のところに行きなさいといったので、何かあったのではないかととても心配していたという話を聞いて涙しました。

病院が嫌い、がんだったらどうせ死ぬ、どうせ死ぬ人間にお金をかけるのはもったいない、私は退職していて、自分の両親も、主人の両親も見送って、子供も成長していて暢気な立場でもこれですから、まだ子供が小さい、親の面倒見ないといけない、家族の大黒柱とか、シビアな立場で仕事されている方などの場合はもっと厳しいと思うのです。早期受診すれば絶対ハッピーになるという保証があるわけではないからね。術後のQOL、抗がん剤や放射線治療の副作用の厳しさ、がん難民などの話を聞くと、足はすくみますよね。

「本当につらいことは言葉に出せない、辛かった、きつかったと話せることなんて大したことない。その目で周りの人を見なさい。辛いこともあろうが、自分ばかりが苦労しているとひがんだ人間になるなよ。」とは主人の告別式等々を終え、生後6週の娘を抱いて復職の挨拶に行ったときの恩師の言葉です。ただの慰めではなく、28歳の職員に、これから先を見せる言葉をかけていただいたことを有り難く思いました。息もできないほど苦しい時、中途半端な慰めは心にとげが刺さります。そして私もおのれの人生をかけた声掛けができる人間になりたいと思いました。がんかもしれないと思って病院に行く決心をするときは、心の奥底に抱えた人それぞれの人生を断ち切って、乗り越えての決断が必要になるでしょうから、なかなか患者本人の意志に任せても受診率は上がらないような気がする。いまは昔のように隠すこともなく普通に告知するのだし、これだけ医療費を使って国費を圧迫するのであれば、職場の定期検診で血液検査のように、がん検診を入れたらどうですかね?お腹周りの計測を入れたように、医療費節約のために、本人の意志と関係なく実施する!昔と違って治療効果も上がってるし、仕事と両立できるんですよ!というのはがんになって初めて知るよね、本当はがんになる前に知るべきことなのにね。二人に一人の割でがんになられたら会社も困るから、仕事と両立できる段階でがんを見つけてほしいから、がんが見つかったら病院に行かざるを得ない状況を作る。病院に行くか行かないか、判断するための正しい知識を教育する場やカウンセリングのシステムを作る。正確な科学的知識とメンタルの問題と両方ね。がんになる前から教育する。新型インフルエンザを入れないために会社で事前教育したみたいにね。これは産業医の出番でしょ。がん検診を受けずに手遅れになったら、会社を首になっても仕方がない!そういうことなら、私もあわてて早く病院に行ったかもしれない。仕事続けたいからね!
ちなみに、私は毎年健診を受けていましたが、無気肺は心臓の陰になっていて、診断がとても難しい場所だったそうです。

腫瘍が大きくなって、退職直前のレントゲンで見つかって、とても心配され、丁寧な報告書と指導をいただきました。心電図は左胸しか開けないので、右側は下着で隠すことができました。長年お世話になりながら、だましたようで申し訳なかったのですが、何としても退職までは働きたいと思っていたので、大騒ぎにならないように、まずは身内からだますというような行動をとりました。患者さんご本人の意向を尊重するということを第一にしていますからと受け入れていただいて、ありがたかった。だって、初の女性教授誕生!産業医大も捨てたものじゃない!と、卒業生が喜んでくれたんですよ。最後まで、きっちり仕事したかったですよ。結局、健診をかいくぐって逃げ回った私が色々いえる立場ではないですね。怒られるのも心配してくださってのこととありがたく思っています。多方面にご迷惑かけました。すみません!

それともう一つ、なぜ産業医大病院で治療しなかった?産業医大病院を信じていなかったのか?と誤解される方もおられるのではないかと思うのであえて書きます。長くお世話になった大学ですもの(娘が2歳から37歳まで)、産業医大病院で治療を受けるのは当然と思っていました。だけど一番気になったのは、私もだけど、面倒見る娘が気を使うだろうと心配しました。主人が生きていれば、また考えは違ったかもしれない。夫婦と違って、親子の場合は仕事関係の方々とかよく知らないですからね。3人の子育てしながらの娘には負担が大きいと思いました。無駄に気を使いすぎて苦労しているのを見るのは辛いし、気を使わな過ぎるのを見るのもイライラするし。そしたら、この考えは、自己中心的だと卒業生の言葉に気付かされました。つまり、私のようなややこしい状態の病気を持った恩師が患者としてきた時の卒業生の立場になってください。恩師のわがままをできるだけかなえてあげようと思うでしょ!知り合いのところに行ってはダメです!卒業生が可哀そうです!順調にいけば良い、いかなかった時どうしますか!と言われて、なんと私は自己中だったか、私は医療者の立場を考えていなかった!と、35年間の学生さんの顔が浮かびました。それが産業医大病院に行かなかった一番の大きな理由です。結局今の病院に迷惑かけているので、どこに行っても迷惑かけるようになるまで放っていてはいけませんね。病院に書いてある「かしこい患者になりましょう」とは、がんに対する正しい知識のことだけでなく、相手の立場で考えられる患者になろうという意味もあるのでしょうね。なにしろ患者は自己中ですからね。そういえば、余命の話は一度もなかったですね。あんまりひどすぎて話にならなかったのか、勝機があったのか?恐ろしくて今更聞けません。ただ、退職前、ホルモン療法でがんが小さくなっていった時「あなたの仕事に対する執念ががんを押し込めましたかね」と言われたのはちょっと嬉しかったです。それに「色々薬があるから、明るくいきましょう」と言われたのもね。あんまりひどいからただの慰めですかね?でもひねくれた患者でも先生からのポジティブな言葉はやっぱり嬉しいです。

本当にどこまでも我儘ですみません!


2017年1月江の島からと飛行機からの富士山の写真を卒業生が送ってくれました。
霊峰富士!心が洗われます。
「頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして~」という唱歌を思い出します。
がんになっていままでとは違う世界が開けたような気がしています。

ビタミンC

抗がん剤でがん細胞は死んだが人間も死んだ、とならないように、副作用を軽減し、体力を温存するため、ビタミンC点滴をしていると言ったら、眉をしかめるドクターが多いのに驚きます。ドクターにそういう表情されると、さすがに患者の気持ちは揺らぎますが、ノーベル賞受賞者のポーリング博士が提唱し、これが否定された経緯のためと思われます。しかし2005年頃から濃度や投与方法を再評価し、各種がんで検討した論文が次々に報告されています(NIH米国国立衛生研究所等々)。厚労省も「統合医療」情報発信サイトにビタミンCを含む代替医療について記載しています。副作用のコントロールが難しいということだと思います。ビタミンCはインフルエンザ予防や美容目的などで使われることもあるそうですので、がんに対する場合は濃度や投与方法、G6PD遺伝子欠損でないことを確認しておくなどの種々の条件を守ることが大事です。私は勧められるままに始めましたが、私にとっては間違いなく良い。ネットでも賛否両論が飛び交っています。がんの場合は感染症に比べ時間的にゆとりがあるので、自分にとって良いかどうか試してみる価値はあると思います。抗がん剤治療の副作用を耐えなければならないのは患者です。副作用がきついので抗がん剤治療を拒否するくらいなら、患者自身にとって有効か否か慎重に検討する価値はあると思います。ただし自費診療なので経済的事情がネックになります。いずれにせよ、まず有効な抗がん剤治療が第一義です。

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